2018/8/11

モロカイレースレポート

タイム:6時間08分23秒

順位:総合15位

stoke(14ft)クラス5位

 

 

レースから10日近く経ち、沖縄での日常へとリズムが戻り少し落ち着き始めました。

沢山振り返りたい事がありますが、まずはレースに関して振り返りをしたいと思います。

 

今回のハワイ遠征は、今までで1番ギリギリとなるレース週の水曜日午後にオアフ入り。 今回は沖縄から普段使用しているBillfootの14ftボードを運搬するという選択をした結果でもあります。 これには単純な移動以上に大変な準備と苦労がありました。

ハワイの海に向けては一切の不安なしで、地元のハワイアンと同感覚(普段使っている板でレースに出場する感覚)でレースに出場は出来ましたが、終わってから考えるとトータル的にこの選択がベストだったか?と疑問に感じるほどスレトスを受けました。

ただし、コンディション面では心配した時差ボケも家族全員なく、ボードも新品以上の梱包を試行錯誤を数ヶ月前から準備していたのでクラッシュもなく、万全の状態でなによりでした。

モロカイ島へは金曜の午後入り。 それまでに船長とのミーティングとRegistration、ボードの運搬を済ます中で、ゴール地点付近のハワイカイで1度だけ練習しました。(水木と練習予定でしたが、到着後諸々とトラブルがあり木曜のみ)

 

レース前日の正午、オアフからのボードをピックアップ。 連日強風の海を逆走して辿り着く船やボードに圧倒される想いでした。 (実際僕と同じ船で積んできたプローンポドルのアンリミテッドボードがクラッシュしてフィンが折れたりしていました。)

レースDayは前日までと比べると風は少し落ちてはいましたが、過去の大会からすると十分すぎる風。6-10mの東北東予報の風でした。

 

今回は初めてゴールのオアフ島が見えないコンディション。 いつもはなんだかんだ見えてはいたので、今年は昨年までのイメージから島影を当てるナビゲーションにいい意味でドキドキしていました。

僕は今回、自身のボードにコンパスを付けずにいきました。もちろんタイムリーな方角は分かりません。そしてエスコートボートからの情報は受け取らないようにしていました。 (選手にはGPSが渡され、各選手はエスコートボートから他選手の情報を得る事が出来るようになっています。) これはせっかくの世界に誇り誇られる大海原、出来る限り人間感覚の中で漕ぎたい想いを持ってきたからです。

スタート前、エスコートボートを見つけるのも大変で、約束の場所付近にいない不安が募る中、ライフガード時代からお世話になっている吉田竜平選手が僕のエスコートボートを見つけてくれて、スタート前1時間前に全ての不安を一掃でき、レースに集中し始めることが出来ました。

これだけではなく、モロカイ遠征を通じてとても感謝しています。

 

午前8時、レーススタート。

 

スタートして数分からすぐに板を波に滑らせることができ、待ちに待っていたモロカイのコンディションを実感するようなワクワクする時間を漕ぎ進みました。エスコートボートが選手に合流し始める20分30分は普段だと静かな海時間が都会になったように他選手のボートからの応援団が騒がしく、自分に集中するよう心がけました。自分のボートが声をかけてくれるとようやくkaiwi channelの始まりだという意識でした。

風の角度を考えた時に、後半楽できるようにある程度は風に対して上るコースを選択しました。

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unlimitedクラスのトップパドラー達はスタートした後もとても速かったですし、ボートが合流したくらいの時にはもうどこに誰がいるのかは分かりませんでした。ただライフガード時代から僕と海時間を一緒に過ごしてくれて、モロカイでも宿を共にした吉田竜平選手は僕よりも風上コースへ行っているのがスタートから見えていたので一つの指標にさせてもらっていました。

2時間くらい角度の修正をしながら気持ちよく漕ぎ進んだあたりから、オアフ島が見えてきました。そのタイミングで少し波に乗りやすい角度で下り始めました。3時間くらいまでは角度の修正をしながらもサーフィンしやすいコンディションでしたが、このあたりから少しずつ簡単にサーフィンしづらい時間が出てきました。

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ちょうどこの頃、左膝の痛みと左手のマメが気になっていました。

今年の冬から、下半身の強化で走りこみ、自転車での漕ぎで身体の土台を作りました。当然フォームも下半身を使うような漕ぎへと少しシフトしたわけですが、練習でもレースでも足に来ることはなく、この流れやポイントは自分にとってはプラスになっていたと思います。

ただし、コマでフォームを拾った時に膝がつま先よりも前に出てしまうショットがあり、結果膝の痛みが出てしまうことが何度かありました。

角度調整をする時には、単純にパドルをする向きだけではなく、足の使い方がボードコントロールに大きく影響します。

膝の痛みが出てからはボードの角度調整が上手くできず、苦しい角度で漕ぐ時間が多くなり、結果腰の痛みや足首周りにも疲労が広がり、角度の調整も難しくなる悪循環。

そんな中、オアフ島が近づきキツイコンディションに差し掛かる。

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今回はレースの途中にTideが切り替わるコンディション。僕がオアフに近づくと潮の流れがゴールに対して逆潮で、進んでいる感覚がない時間が長く続きました。この時僕はハッキリと気づくことができませんでしたが、後でGPSを持っていた選手に聞いたら、1kmのラップが7分を少し切るくらいだったと。。これは12.6ftのコースレースのラップより遅い。DWのかなりのグライドが交じるレースでこのラップは異常。

それくらいの潮の流れだったようです。これがモロカイの海の厳しさなんでしょうね。。

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トップのトラビス選手が4時間ちょうどくらいと考え、そこから他選手のゴール予想を自分なりに計算していました。

そして僕の目標タイムは5時間。それと比較すると明らかにココヘッドが近づいていません。

ここでGPSの情報伝達を意識していなかった僕は、無駄に自分を苦しめるネガティブに堕ちていました。

ここからは思い通りに進まない自分自身の心と身体が噛み合わず、苦しい中で支援プロジェクトを通して受け取った皆さんからの応援メッセージを思い出しながらなんとかゴールを目指しました。

なんとかチャイナウォールを越えてゴールのハワイカイへ帰ってきました。そこでは嫌味に思える自分のボードのロッカーが邪魔をするように強烈なアップウインドとの戦い。今までのレースの中で一番板を進ませることができなかったように思いますが、なんとかゴール。

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ゴールタイムは6時間08分でした。

ちなみにトップのトラビス選手でさえ、昨年のタイムより20分少し遅かったようです。2位のコナー選手は昨年タイムより40分以上遅れたようです。

 

ゴールした瞬間は目標タイムに届かず苦しんだ自分自身にとても悔しい想いでしたが、こういった情報を得て落ち着いて考えると、自然のスポーツの中でタイムは当てにも目標にもできないのかなと。陸上選手上がりなので、どうしてもタイムが頭に浮かんでしまいますが、この考えをリセットしていかないといけないなと改めて思いました。モロカイのレース、外洋レースはそういうモノだと感じました。

また身体を使う偏りが出てしまい、片側は元気だけど、片側が力が入らない(手のマメ)というような動かし方をしてしまいました。

レース全体を通してそうなってしまったのが不発感が後に残り良くなかったと反省。

今回、振り返りのように苦しいレースの中で、もうこのレースが最期のチャレンジかもしれないという想いの中で漕いでいました。

まだまだ海は深く、今回からも学びは尽きないなと感じましたが、それくらい準備やスタートまでに自分をそして家族を消費した想いでした。

来年は!と、今でもまだ気持ちは整理できていませんが、世界のトップ選手が多く集まり、1年の中でもunlimitedクラスのあるレースはほぼないので、ぜひそのクラスで総合上位を目指したいと思います。

 

今回の遠征は、年間通してサポートしてもらっている沖縄の恩納村にあるタイガービーチを運営するキープブルーはじめ、沖縄の伝統サバニをモチーフにしたアパレルを展開する海想、近所にある自動車板金の与座モータースの企業の皆さまや、支援プロジェクトで応援して下さった皆さまのおかげで無事に終えることができました。

遠征費はもちろんですが、そこに添えられた皆様からの応援メッセージが、レースに臨む上での励ましとなり、僕自身の支えとなりました。

改めて応援ありがとうございました。

 

次回のレースは10月の三重県で開催される熊野SUP マラソンに出場予定です。

引き続き、応援して頂ければ幸いです。

ありがとうございました。