1ヶ月にわたり、Molokai2Oahu paddleboard worldchampionshipsに向けた、自身の競技生活でも1番長い海外遠征となった今年のM2Oチャレンジ(來る海プロジェクト)が終わりました。
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結果は、先にお伝えした通りSUP OVERALL(SUP部門全体)でトップとなり、優勝という結果でした。
SUPでトップでゴールしたのは、日本人初という大変光栄な結果ではありましたが、このHawaii遠征が始まる前から、そして遠征中もいくつかの場面で感じましたが、SUP部門でのM2Oは、時代の流れと共に出場選手が圧倒的に減り、置き去りになってしまったような位置付けでした。
それだけに、過去M2Oを盛り上げたトップ選手達と同じレベルのタイムを目指し、どんなコンディションでも、過去の見えない選手達と闘いたかった2023年のM2O。
結果は目標のタイムから約25分遅い、4時間44分35秒(なぜか公式リザルトが30秒遅い、海外あるある笑)
日本歴代3番目のタイムでした。
M2O公式リザルトはこちら
今年の海象コンディションは、
潮は朝方に干潮、レース中は上げ潮で、このレースの海域で粗方言われてる潮の動きとはしては、逆潮になるんでしょうか…。
そして風は前日までや翌日は強風予報でしたが、1週間前予報と同じく風の谷の日になっており、M2Oとしては弱めの風でした。
毎年どんなコンディションでも、オアフ島付近(ラスト10マイル)くらいからは、うねりが複雑になり、漕いでも漕いでも進まない感覚になり、ターゲットタイムペースで進んでいましたが、ラスト10マイルくらいからはかなり苦しめられ、ラップは徐々に落ちていきましたが、その中で全ての力を出し切る想いで漕ぎ進みました。
最初の1時間は自分の身体がどう動くかと、前述の潮の読みから、ある程度波に乗って風下コースを進んでも、中盤〜後半で潮の向きと、自分の技術で風上にも上がっていけると考えてました。
ただ、ゴール後のGPSの進路をみたら、自分が考えてたよりもまだまだ風上コースで、自分の取ろうとしたコースラインであれば、もっと風下寄りの進路で良かったなと思い、それがあればもう少しタイムを短縮出来たのでは?と、振り返りとしてあります。
(それでもSUP選手の中では僕が1番風下コースで、他の選手はもっと風上コースでした)
2週間前のMolokai Holokaiレース(Maui to Molokai)からの改善点として心がけたのは、アンリミテッドボードの長さを力でサーフさせない事。
そして、終盤まで出来るだけRudderサーフを心がけて身体に余力を残そうと考えてました。
ハイドレーションバックの交換は、スタート後約2時間。
スタート時も交換後も量は3分の2(約1.5リットル程度)にして、動きやすさを重視しました。
当初は4時間15分ゴール設定の中で、2度(90分に1回)交換予定でクルーと打ち合わせしてましたが、ハワイのトレードウインド(貿易風)は涼しく、水分は適度で十分で、リズムを崩さずタイムをSaveし、漕ぎ進みたかったので、当日海上で変更しました。
3時間10分あたりから、少しずつ疲労が表に出始めました。
あまり詳しく覚えていませんが、3時間20-30分あたりで、残りの見える距離を計算した時、Hawaii kaiのチャイナウォールに、設定の3時間50分で辿り着くのが難しい目測になってました。
このあたりでは腕の疲労、脚の疲労も表面に出ており、右も左も全身を全て使い切れるように、気持ちを繋ぎ自分をプッシュしていました。
この時考えていた事は、この数日レースのために身体の動きをセーブしていて、早く漕ぎ出したい気持ちを抑えて調整していました。
まるで、何週間も堕落した生活をしているような錯覚に陥るようでした。
そんな想いをしていたエネルギーを、今ぶつけるんだと自分を鼓舞し、突き進みました。
そして、
今回のチャレンジには、沢山の方々から応援、サポートして頂き、自分自身も強い想いを持って挑戦してきました。
家族には昨年から心配も迷惑もかけた想いや、先輩方からの後押し、出発前に再会した病と闘う心友の力強い握手、レース前にメッセージくれた地元の友達、クラウドファンディングで応援してくれた方々、現地でサポートして下さった方々…そしてすぐそばで応援してくれてる伴走船の船長、友人、そして大洋!
タイムはあくまで自分を高いレベルに押し上げる為の目標で、自然相手には参考レベルにしかなりません。
本気で狙ってきたので、届かない状況がわかった時はもちろん残念でしたが、今、目の前に在る海をどう攻略するかに全身全霊を注ぐ想いで、心と身体を動かしました。
この海峡は、”Channel of bones”
と呼ばれるKa’iwi channel。
文字通り、骨を埋める想いで漕ぎ、
二度とここに戻ってこれなくても構わない!
二度とDWが出来なくなっても構わない!!
二度とSUPが出来なくなっても構わない!!!
とにかく今を、痺れや痛み、苦しみ関係なく全身の100%を出し切るんだとゴールのHawaii kaiへ死力を尽くして飛び込みました!
海峡の真ん中でもそうでしたが、それほど風が吹いてなかったので、ラストの向かい風はオアフで練習した時の中で1番弱く、弱った身体でも漕ぎやすかった。
Hawaii kaiは板を進ませる為、Rudderより前にスタンスを決め、風に押された時はかかとでRudderコントロールをするというのを練習のテストの中で行ってきましたが、長い時間右方向へサーフし続けた結果、Rudderが右側に進んでしまう…という状況になってしまい、途中途中で左側に向きを調整する為、ステップバックしながら、また前のスタンスへ戻るというのを繰り返していました。
その結果、海峡の真ん中でも落水しなかったけど、まさかのフラットなHawaii kaiで落水するというミスはありました。
それでも最後まで心を持って、漕ぎ進めたのは何度もこのラストの練習を繰り返し行ったからだと思います。
ラスト10マイルくらいからは、なかなか綺麗にサーフすることができず、ペースも落ちたので、順位もどうなってるかは最後は分かりませんでした。
Hawaii kai前では左大腿部が攣っていましたが、とにかく身体の隅々から出し切る想いで、最後の向かい風の中、ゴールに向かって漕ぎ切りました!
そして、、、
会場のMCのアナウンスでSUP部門1位というのが、分かりました。
SUP Division日本人初の優勝という光栄な結果。
ゴールした後、沢山の方々から声をかけて頂き、写真を求められたり、今までにない嬉しい時間が続きました。
そして、会場にはボードを貸してくれた、憧れのTravisの姿が…。
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レース後、興奮と疲労の中インタビューを求められた僕は、Travis Grantを尊敬し、今日のパフォーマンスは、彼が貸してくれたボードのおかげで、僕はChampion boardのまま返したかったと伝えました。
そのインタビューを聞いてたTravisは、僕に会った時に、おめでとうと合わせて、このボードが勝ったんじゃなく、あなたが強かったから勝ったんだ、日本人としては初の部門優勝だね、おめでとう!きっと私(Travis)の友達のケニーは悔しがると思うよ、と笑いを交えて言ってくれました。
大変嬉しい言葉で、憧れの選手で地元のレースに来てくれたことのあるTravisに祝福してもらえて、とても嬉しかった!
多分、最初は名前も知らない選手が、NSPという繋がりで来た程度だったと思うけど、そんな僕に真摯に優しく対応してくれたり、地元オアフ在住で、若くから世界のSUPレースで名を残したMo Freitasより速くゴールした事を、評価してくれたような雰囲気だった。
2015年茅ヶ崎で開催されたレース↓
Moはこの時優勝。
僕はSUPレース遠征始めたばかりの順位不明。
↓表彰会場でTravisが写真を撮ろうと声をかけてくれました。
沢山の方々に応援してもらい、支えられて、ここまでこれました。
掲げた日本記録更新は出来ませんでしたが、今回のコンディションの中で、自分の全力は出し切れた結果だったと思います。
最高のクルー達に伴走船から応援してもらい、普段練習ではスタートする姿とゴールする姿しか見せてあげられなかったけど、挑戦する父の姿と、名前を頂いた偉大なBig Oceanの世界を「大洋」に見せてあげられました。
海の世界じゃなくていい、
いつの日か、大洋が何かに挑戦する時に、彼が見た、父が夢みて人生を懸けた大自然の世界と、船に乗り、同じ海を渡った経験が、将来の大洋の力になりますように。。
そんな願いを込めた今回の僕ら親子、家族のEducation raceは、父として示せたのではないかと思います。
選手よりも、伴走船に乗る船に慣れていない人の方がツラい想いをします。
実際僕も船酔いしやすく、きっと船の上でサポートはできません笑
そんな船の上で、後から聞いた話ですが、8回も吐きながらサポートしてくれたCanadaから駆けつけてくれたヒデにはとても感謝しています!!
ヒデがいなければ、今回のチャレンジは難しかったと思います。
ありがとう。
沖縄には長く台風6号が停滞し、被害も多くあるようですが、台風がちょうど離れたタイミングで沖縄に帰ってこれたことや、停電断水が4日間続いていたようですが、帰ってきて数時間で復旧したタイミング全てが、このHawaii遠征が無事に終わった事を改めて感じさせてくれました。
今回の挑戦の過程で、僕自身、この16年の海生活の中で1番ツラい経験がありました。
何百歩退がったのか分からない程、苦しい時間がありました。
それでも、そのツラい経験の上に立ち、今を一生懸命生き、これからの未來にどう進んで行くか?を僕に問い、そして説いてくれたオンズカンパニーの松井社長や先輩方に感謝しています。
今回で全てがクリアになったとは思いませんが、今回の表面的な結果ではなく、挑戦の日々の積み重ねにこそ、価値があると僕は信じてます。
1年前には生きる希望を失いかけてた自分が、1日1日の小さな努力を積み重ねて、ここまで来れました。
周りの方々や友達、病と向き合い闘う方々からも力をもらい、ここまで来れました。
これからもまた大変な未来が必ずくると思いますが、家族と共に、また周りにいる私達を支えて応援して下さる方々と一緒に、ゆっくりと、時に後退することも選びながら、自分達のペースで歩んでいきたいと思います!
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これからクラウドファンディングで支援頂いた方々へのリターンとして、報告食事会、SUPツアー企画があります。皆さんに楽しく還元できるよう準備させて頂きたいと思っています。
僕自身、沢山の困難から、ようやく海に戻ってこれた想いです。これからは、今回プロジェクト名に掲げた「來る海」の名の通り、海に來たいと思う方々をサポートする活動に、知識技術、経験を活かしていきたいと思います。
第1弾、「來る海プロジェクト」
Molokai2Oahuチャレンジ2023
応援ありがとうございました。