週末、地元三重県は熊野市新鹿でか開催された熊野SUPマラソンに出場してきました。
夏のハワイのレースを終え、約3ヶ月ぶりのレースでした。
レース結果は準優勝でしたが、内容は散々。
過去最酷のコンディションだった熊野灘に跳ね返されました。
そんなレースを振り返りたいと思います。
レースを迎える前日には、SUPクリニックを担当させて頂き、またその夜にはM2Oの報告食事会の最終日程を終えました。
実際ここに向けての練習の中では、あまり良い状態で漕げることはほとんどなく、キツさ以上にツラい日々でした。
8月末には左足腓骨神経麻痺全治5ヶ月、そして9月はそれに伴うランニング中の転倒で左手首と左足首を痛めてしまいました。
漕ぎたい想いや、レースに向けて頑張りたい…という想いはもちろんありましたが、なかなか海に出ても強度は上げられず、楽しくもなく、ただ漕いでるだけのような、もがく様な悪あがきのような…そんな合わせ方しか出来ませんでした。
そして以前なら乗れていた細いボードも、脚の感覚の痺れや筋力半分という現状では、段々と乗るのがキツくなってしまっていた自分は、そんな準備期間を表すように、22幅のNINJAでも、レースでは大苦戦。
スタートも脚を痛めないように慎重に、それでもロススタートから始まりました。
湾内中には同じチームの星詩さんに追いつき後ろに付きました。
うねりにふらついたところを見て、僕はうねりを拾い、前に出ました。
そこから湾を出る頃でしょうか…
ビーチでも感じていた時折の強い風が一気に吹き始めました。
先に書いたように、あまり大荒れになると脚の扱いのきめ細かなコントロールが必要になり、DWが決まりましたが、そんな僕を横目に、8kmコースの折り返し(4km)地点あたりで、本来リードを取るべきところで星詩さんに交わされ、リードされていきました。
この際、星詩さんあるあるで、Regulation時に説明のあったブイの外側ではなく内側を通っていました。笑
船にも注意を促されていたようですが、爆風と化したコンディションを戻る選択肢は出来なかったようで、そのままレースは続きました。
その後の外洋区間は、島陰で風が落ち着くエリアと、折り返しブイに近づく2キロ程は、開けた半島からの吐き出しの横風が強烈で、なかなかサーフラインを見つけるのが大変でした。
(折り返し地点が例年と全く違う場所だったことにも混乱しました。)
色々な意味で余裕を持ちきれなかった自分は、ここから度々座ることになりました。
こんなレースは初めてでした。。
折り返し地点で数分差離されていました。
また帰りの復路も、風をいなしながら進みましたが、コース取りにナビゲーションミスがあったと思いました。
往路は例年通りの折り返しと思い、比較的岸壁に沿うコース取りで、その後沖に出ました。
復路も折り返した後、岸壁に戻る進路を取りましたが、これがミス。
8km折り返しのブイに向けて一直線に進むべきでした。
このコースを取った場合、折り返しの横風(アップウインド)が、(ライトクロス)ダウンレグに変わり、時間も体力もセーブできたと思います。
また8km折り返しブイの手前に2つ岩礁があり、風を交わしながら進んだ際、大回りしてこれを沖側から回されました。
ここでもかなりロスがあったので、この日の現状でも、コース取り一つで優勝も狙えたかもしれません。
そして多くの方々かなりの影響を受けた湾内に入るところからの強烈なアップウインド。
15m超えの風は台風の風のようで、他の選手達が心配、不安になる程でした。
耐えきれないところは座って漕ぎ、ラストはボードが波を叩かなくなったあたりからようやく立って漕げるようになりました。
そのくらい過去にも経験したことない、最酷なコンディションでした。
この日まで準備してきたようで、理想的な準備をやり切れなかった結果の通りの内容のレースでしたが、やっぱりな、と受け入れられた自分と、早く終わってほしかった自分がようやく安堵できた自分がいました。
本当はM2Oを終え、Travisとも縁ある熊野を勝って終えたかった、そしてそんな結果を期待してくれてた方々もいたかもしれません。
ただ、物事の結果にはその結果以上の意味があることも、この一年改めて感じ続けてきたことでした。
しばらくはゆっくりと自分を見つめる時間の中で、また海の道を前に進みたいのかどうか…も含めて、身体を休めたいと思います。
応援ありがとうございました!